#16 ホワイトビールの神様 "Pierre Celis"

ベルギーの代表的なホワイトビール"Hoegaarden"

 

 ヒューガルデン村でのビール造りは、資料館に残されている文献によると、およそ700年前までさかのぼることができます。ただし現在の味に近いホワイトビールが造られるようになったのは15世紀になってから。ベガーデンという神父さんが醸造を始めたのが起源とされています。

その後ホワイトビール造りは徐々に発展し、最盛期には人口2,000人の村に35の醸造所がありましたが、酒税の引き上げなどにより衰退。1957年のトムシン醸造所の閉鎖でホワイトビールの醸造は一旦途絶えることになりました。ところが、フランス語で行なわれる授業についていけず、17歳で学校を辞め、20歳のときトムシン醸造所で働いた後、牛乳屋に勤めていた男がホワイトビールを復活させます。復活させたその男の名はピエール・セリス。

 ピエール・セリス(1925年生まれ)は、40歳のとき初めてホワイトビールを試作し、1966年に「デ・クライス(僧院・修道院)醸造所」を立ち上げました。彼が樽を二つに割って醸造したホワイトビールは「ヒューガルデン・ホワイト(Hoegaarden Wit Bier)」と名付けられ、大絶賛を浴びることになります。かつてヒューガルデン村のビールは陶器に注がれるのが習わしだったのですが、それはピルスナーのような「美しさ」がないことを隠すための羞恥に起因していたそうです。ところが美しさを邪魔する白く濁った色と、底に溜まった滓が、逆にナチュラルなビールとの評判を獲得し、デ・クライス醸造所は一気に規模を拡大していきます。

 そのビールは20年後には威信を持って造られ、年産30万バレルに達しましたが、1985年、醸造所は大火災に見舞われてしまいました。規模が大きくなったこともあり自力での再建を諦め、最終的には現在のアンハイザー・ブッシュ・インベヴ社に売却することになります。

 そして1992年、セリスは娘の住む米国オースティンに行き、そこで新たに「セリス・ホワイト」というベルジャンスタイルのホワイトビールの醸造を始めます。ヒューガルデンよりソフトで、少しフルーティーで、フレーバーが高い上品なビールでした。その後、グレート・アメリカン・ビア・フェスティバルで何度もメダルを獲得するなど成功を収めましたが、3年後の1995年にミラー社が買収するも、2001年にミラー社が撤退。

 現在は、ヨーロッパ向けにはベルギーのヴァン・スティーンベルグ醸造所で、アメリカ向けにはミシガン・ブルーイング・カンパニーがライセンスを取得し、生産されています。

 

「40歳のときにホワイトビールを試作し、一度は途絶えたベルジャン・ウィートエール(フーハールズ:Hoegaards)の伝統を復刻し、ホワイトビールのゴッドファーザーとして君臨してきたピエール・セリス。ヒューガルデン・ウィット、ヒューガルデン・グランクリュ、禁断の果実、セリス・ホワイト、グロッテンビール・・・・。彼が生涯に生み出したビールは25銘柄にのぼるといわれています。」

 

残念ながら2011年4月9日、86歳で亡くなりました。

 


コメント: 0 (ディスカッションは終了しました。)
    まだコメントはありません。